別府八湯のひとつ鉄輪（かんなわ）温泉は、大分空港から車で約１時間。右に左に湯煙の立ち上る石畳を歩けば、湯治客で賑わった往時が偲ばれる。

「湯治のことを、泥落としと言ったそうです。農閑期に疲れたからだを癒すために１ヵ月以上も長逗留する。筑豊の炭坑からも団体客が押し寄せたとか......」。鉄輪銀座通りに昨年、新装オープンした柳屋のオーナー・橋本栄子さん。もとは明治38年0昭和にかけて建築された、木造４棟からなる老舗の湯治宿。普請道楽だった先代の女将が材を選び意匠を凝らして建てたという。

「引退する女将から、縁あって引き継いだ老舗です。この鉄輪の町に、なくしてはいけないものだという使命感がありました」。黒光りする床板や建具、那智黒石の廊下、温泉利用の地獄蒸し料理場など。懐かしい風情を色濃く残しているが、実は土台から作り直した。傷んだ床板を剥がし、配管を改め、３棟12室の客室には防音を施した。

「どこも変わっていない、と感じてもらえれば成功ですね」。掘り炬燵や囲炉裏を囲む談話室、自炊用の調理場を備えている。通り沿いにはイタリアンレストランとカフェを新設。橋本さんは大分市内で望月通陽ミュージアム併設のカフェ・サリーガーデンを営んでいるが、柳屋でも望月のリトグラフや染色など数々の作品に出会える。

　隅々まで行き届いた、落ち着いた佇まい。４棟のうち離れの１棟では今後、art&eatをテーマに日本文化を学ぶセミナーやワークショップを催す。「ゆっくり長逗留して、ぜひ体験してみてください」。（文・西本和美）